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葬儀、法要の意味
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お釈迦様は、我々のいる娑婆世界における、生老病死の苦しみの連鎖から解脱する方法に到達されて、目覚められた方です。
仏教とは、その教えを実践して、我々が生きている間にそのような悟りの世界に到達する為のお釈迦様の教えであります。
しかしながら、人は、生きている間は、仕事や子育て、親の介護等々、生活に追われて、そんなことを考えている暇はありません。生きることはつらいことで、人の一生で自分の思い通りになることなど、ほぼないと言えましょう。そのことを、お釈迦様は、「一切は苦である」という言葉で現されました。
そのように言うと、「お釈迦様とは何と消極的な人だろう」と誤解されるかもしれませんが、そうではないのです。「苦」である事を認めたうえで、より積極的な生き方を実践するための悟りを得られたお方なのです。
そして古来から仏教を信仰する人々は、この「苦」より解脱するための方法をお釈迦様の教えに求めてきたのです。
しかし一般の人々は、そのような事を考えている暇はありません。ですから我々僧侶が、日々、精進、
修行を重ねて、教えに従って悟りの世界を求めて研鑽しているのです。
さて、どんな人にでも、死は必ず訪れます。縁故の有った人が亡くなった時、我々は何をしてあげればよろしいでしょうか。
それは、まずは供養をすることです。魂を弔う事です。故人の生前の人柄を偲び、受けた恩義に感謝し、御冥福を祈るしかありません。そのために、お葬式という儀式があるのです。
そしてそのお葬式という儀式を僧侶が中心となって執り行うのです。この世への未練(煩悩)を滅除して、悟りの(涅槃)世界へと導く役目を僧侶が荷います。
先に述べたように、生前の苦しみの世界から、苦しみのない世界への案内役を仰せつかるのです。
命が尽きた後に仏門に入って、俗世の煩悩を滅除して、来世でより良い生が送られるように、或いは天上で迷いも苦楽もない状態で安住できるように、少しでも悟りの世界に近づけるようにとの願いを込めて、葬式や年忌法要が営まれるのです。
苦しい現生を離れて成仏してくださいと祈るのです。
又、葬儀には、故人の生前の遺徳を讃え、人柄を偲び、遺族は勿論のこと、生前縁のあった人たちとの最後のお別れをするという意義もあります。
ですから、お葬式は厳粛に、正式な作法に則って厳修されなければなりません。
以上の考えを踏まえまして、曹洞宗の葬送儀礼の説明をしていきます。
曹洞宗のお葬式では、まず、自己の生を見つめなおすことから始まります。自己の生を見つめなおすとは、まずまさに、懺悔することです。何故、一生懸命に生きてきた故人が、葬式の時にわざわざ懺悔しなければならないのか?
それは、人間は、生きていくために、必要に迫られて、様々の罪を犯さざるを得ないからです。一例を挙げれば、我々は、他の生き物の命をを奪わなければ、生きていけません。命を頂戴して生きているのです。ですからその事に対してなにがしかの罪を本来的に背負っていると言えましょう。
又、生きていくためには、嘘をついたり、人を傷つけたり、怒ったり、人を妬んだり、欲望に身を任せたり、せねばならぬことを怠ったり、というような、不道徳なことがどうしても避けられません。
ですから、そういう俗世に別れを告げて、これよりそういうことをせずにすむような世界へと(涅槃とか浄土とか、天国といってもよいでしょう)旅立つ為に、僧侶を導師として、葬式という儀式を行うのです。
その為には仏様の弟子となって、悟りの世界へ入る手続きが必要です。曹洞宗では、お葬式の際に、亡くなった方に悟りに至る為の教えを諭すという方法を取っています。
これから曹洞宗の葬式の式次第を順を追って説明していきます。
第一部 内諷経
(自宅の中での葬儀作法です。この後外諷経へと続きます。現在は、葬儀屋さんで行いま すので内諷経も外諷経も葬儀会館内で行うようになっています。)
1.受戒
まず、住職が、死者に対して、あなたの生は死後の世界に移り変わりました、と申し渡します。
それから、悟りの世界に至るまでの修行の作法を伝授致します。
第一に、まず
懺悔
して下さいと諭します。そのためには、過去にさとられた仏様のお言葉を唱えてください。
「我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔」
、
(私は生前数々の良くないことをやむなく行いました。それは、貪りと、怒りと、無知からなるものでしたと。いま、私は体という実態から遊離して一切を
懺悔
します)と。
次に住職は人々の持つ煩悩の炎、生への執着を滅除する為の呪文を唱え、お釈迦様から頂いた聖なる水を故人に注ぎ、
法を伝える
と同時に、魂を清めます。
さて、これで故人の生前の欲にまみれた垢(生きるための本来的な欲望の事)がふるい落とされて、非常に
清らかな魂
としての存在に生まれ変わりました。(「欲」はどんな清廉潔白で高貴な人でも、何かしら持っているものです、それが人間というものの「業」ですから。)
次に住職は、仏様と、仏様の唱えられた「法」(物事の実相)、そしてこれを信奉する僧侶を信じて
帰依
してくださいと諭します。
そのために以下の呪文を一緒に唱えてください。
「南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧、帰依佛無上尊、帰依法離塵尊、帰依僧和合尊、帰依仏教、帰依法経、帰依僧経」
と。
次に、悟りの道に至るまでに守るべき
三つの戒律
をお教えいたします。
第一摂律儀戒、第2摂善法戒、第三摂衆生戒
、これです。規範を守り、善行を施し、迷っている人類を救います、という、お誓いです。
次には、
悟りを開くための10の戒律
をお授け致します。
1、生きるためとはいえ、むやみな殺生をしてはならぬ。
2、生きるためとはいえ、他人が苦労の末得た成果を、盗んではならぬ。
3、生きるためとはいえ、淫欲に溺れてはならぬ。
4、生きるためとはいえ、嘘をついたり、人を騙してはならぬ。
5、酒を飲みすぎてはならぬ。
6、調子に乗って、人に説教をし過ぎてはならぬ。
7、自分を不必要に讃えたり、他人を貶めてはならぬ
8、生きるためとはいえ、必要以上に財産を蓄えてはならぬ。
9、むやみに怒ったり、人を恨んだりしてはならぬ。。
10、仏や、仏の説く心理や、これを遵守する僧侶を非難中傷、罵倒などしてはならぬ。
以上が、
最も大切な
、悟りを求める人のの守るべき
戒律(ルール)
です。
2.血脈授与
これらを踏まえた上で、住職は、2500年前から現在に至る、これらの仏様の教えを遵守してきた証としての、
血脈(証文)
を故人に授与いたします。あなたは私ども僧侶とともに、この証文を持って、これから悩みも憂いもない
涅槃
の世界へと旅立つ、修行の道を辿っていくんですよ、という約束をするのです。
ちなみに涅槃とか悟りとかにたどり着くには、人の一生では到達できません。何度も何度も生まれ変わって、修行に修行を重ねて、気が遠くなるほどの年月を経て、初めて菩薩になり、如来になり、最後に仏になるのです。
来世
に生まれ変わるのは、
「天上、人間、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄」のいずれか
です。
六道輪廻
とか、六地蔵とかいう言葉を聞いたことがある方もおられるでしょう。
行いが悪ければ地獄
、良くて人間世界に生まれ変わることでしょう。そのために我々は生きている間、正しい精進を続け、死後も続けなければならないのです。
死後に7日毎に逮夜をし、仕上げに49日の法要を行うのは、故人が来世でより良い世界に転生することを祈る為の、遺族や縁故者による儀式なのです。(もちろん故人を偲んで49日、100日、1周忌、3,7,13等々の供養を、親族で行い、互いの絆を深めるという意味もあります。)
さて、仏様になるために、すでに
3つの戒律と10の戒律をお授け致しました。
これからは故人その人が、導師となって、自らの仏道修行を実践していかねばなりません。
次に僧侶が唱えるのは、「俗人も仏の教えを聞けば、仏の位に入る、
もうあなたも先に仏様になられた方々のお仲間ですよ、
と諭します。
以上が導師(死出の旅の先導をする人)の第一部の作法です。
次に
脇導師
(役僧、導師の手伝いをする僧、通常3名)が読経を始めます。
3.入棺の読経
(入棺に際しての読経ですが、現代ではこの時点ですでに入棺は済まされています
読経
大悲心陀羅尼
(「観世音菩薩様、どうか一切の恐怖を除いて、どうか私を悟りの世界に導いてください」というお経です。)
4.棺前念誦
(
棺の前で故人の成仏を祈る
ため、10人の仏様のお名前をお唱えします。)
読経
舎利礼文
5.挙棺念誦
(故人を荼毘に付す前に、再び10人の仏様の御名を唱えてお祈りします。)
読経
修証義 懺悔滅罪 章
ここで弔辞、弔電が読まれます。
第2部 外諷経
(墓場で故人に
引導を渡す
ときの儀式です。現代では葬儀会館で内諷経に引き続き行います。)
1.引導、法語
火をともした
松明
を、導師が、右に3回、左に3回大きく回して、荼毘に付される
故人に別れを告げます
。
その後で
「法語」
(
仏様のありがたいお言葉
に、
故人の遺徳を讃え
、
人柄を偲ぶ
文章を添えた文)を個人の為に唱えます。
そのあと導師、遺族、参列者の順に
御焼香
致します。
2.葬送念誦
今まさに、故人を
荼毘にふす
に当たって、
10人の仏様の御名
をお唱えします。
読経
妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈
いよいよ最後の旅立ちです。これから
冥途への道を一人で辿って
いきますから、どうか
観音様、見守って下さい
よという祈りを込めた読経です。
仏教って何? お釈迦様って誰? 坊さんって何? なぜ葬式をするの?
戒名とは