一、お釈迦様(釈迦牟尼仏、仏様)

 

お釈迦様は紀元前6世紀、インド北部に小国の王子としてお生まれになりました。

将来の国王としての期待を一身に受けて何不自由のない生活を送っておられましたが、三十歳の時、人は何故苦しむのか、苦しみの原因はどこから来るのか、それを解決する方法はないのかと深く考えられ、出家されました。

 

その後、様々な苦行の末、座禅による瞑想にて、この世の苦から解脱する方法をお悟りになられました。お釈迦様はこの時三十五才、十二月八日の事でした。仏教ではこの日を成道会と呼び、僧侶はお釈迦様の悟りに倣って八日間の座禅修行を行います。

 

お釈迦様はこの時より「覚者(=仏陀)」となり、以後八十歳で亡くなられるまで説法の旅を続けられました。

 

その教えは、まず、人の生涯は一切が苦であり、それを受け入れる事でした。

そして苦しみが生じた際に、何故その苦しみが生じているのかを突き止め、苦しみが生じる過程からこれを滅する方法までを冷静に見つめる事により、それが自分の煩悩から来るものであると自覚し、自我を離れる方法としての座禅による瞑想や、正しい行い、ものの考え方をする事によって苦しみを受け入れつつ、これを克服する方法をお示しになりました。以下にそれを述べてみます。

 

「四諦」

 

四諦とは、「苦諦」、「集諦」、「滅諦」、「道諦」を意味します。

「苦諦」とは、この世は全て苦であるという真理、「集諦」は、苦の原因は人の心から生まれる渇愛(煩悩)であるという真理、「滅諦」は、渇愛を無くせば苦もまた無くなるという真理、「道諦」は、苦を無くす方法は、後に述べる「八正道」であるという真理です。

 

「四苦八苦」

 

また、人生の苦しみを四苦八苦として以下のように分類されました。

それは「生老病死」に加えて、「愛別離苦」(愛する人とはいつか別れがやってくる)、「怨憎会苦」(嫌な事は常にあり、嫌な人とも会わねばならない)、「求不得苦」(欲しいものは手に入らない)、「五陰盛苦」(この世は嫌な事が無くならない仕組みになっている)の八つの苦しみです。

 

「八正道」

 

そしてそのどうにもならない苦しみを克服する方法として、「八正道」(正見、生思惟、生語、生業、生命、生精進、正念、正定)をお示しになりました

すなわち、

一、正見  正しく物事を見ること。

二、正思惟 正しく物事を考える。

、正語  正しく物事を表現する。

四、正業  正しく物事を行う。

五、正命  正しく生きる。

六、正精進 正しい努力をする。

七、正念  正しい教えを忘れない。

八、正定  正しく心を整える。

 

これを完璧に実践することによって、人は悟りに至る事が出来る事を身をもって証されたのです。

 

「十二縁起」

 

さらにお釈迦様は、苦しみが起こる過程を十二に分類し(十二縁起)、これを冷静に分析することにより、八正道を実践することによって、苦しみの連鎖(輪廻)から解脱できる事をお教えになりました。

十二縁起とは、人間は無明(何も分からないこと)によって生じ、その為誤った行動を起こし、やがて欲望が発生し、渇愛(煩悩、執着)が生じ、これが永遠に繰り返される輪廻の原因となっているという仕組みの事です。

この教えを知らず、四諦八正道を修することなく一生を終えれば、その人は永遠に六道輪廻(天上、人間、阿修羅、地獄、餓鬼、畜生)の世界をさまよい続け、何度生まれ変わっても苦しみの輪廻から抜け出せないとお教えになられたのです

以上が非常に大まかな仏様の御教えですが、一般の人々が日常生活を営む中で、このような教えを実践することは困難な事です。

ですから曹洞宗ではお葬式の際に、亡くなった方に仏様の弟子となっていただき、仏様の教えを諭して、迷わず成仏するように祈る、という方法を取っています。

 

お釈迦様の教えは古代インドの王族を始め、様々な人たちに感銘を与え、人々は仏教に帰依しました。そして多くの弟子が結集し、仏教という一大教団へと発展していったのです。

 

仏教はその後、広くアジア一帯に広まり、中国、朝鮮を経てやがて六世紀に日本に伝わりました。三〜六世紀ごろの中国では、三蔵法師に代表される高僧達が、遠く天竺(インド)まで仏法の神髄を求めて旅立ち、尊い仏典(お経)を持ち帰り、中国語に翻訳し、法灯を広めました。

また、五世紀、隋の時代にはインドより達磨大師が正伝の仏法を伝えるため来宋し、これにより中国全土で仏教の教えがより深く浸透すると共に、禅や仏像などを始めとする仏教文化が隆盛する事となりました。

これが朝鮮半島を経て、渡来人の手によって時の日本の朝廷に伝わり、聖徳太子が深く帰依し、仏教を信奉し、手厚く保護する事となりました

その後、平安時代の日本では主に国家鎮守、怨霊退治、御祈祷などを御利益として国家がこれを保護してきましたが、やがて僧侶がその特権意識に甘んじ、仏教界は腐敗の道を辿りました。

                                               続く

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